ハイスタことHi-STANDARDというバンドをご存じでしょうか。
ハイスタは1991年に結成されたパンクロックバンドであり、数々の偉業を達成した伝説のバンドです。
そんなハイスタのメンバーである恒岡章さんが、2023年2月14日にこの世を去りました。
あまりにも突然の訃報は、ファンにとってはショックな出来事であり、SNSでは悲しみの声が広がりました。
そんな悲しみのなか、ハイスタはサタニック2023に出演しました。
ドラムが不在のなかで、彼らがどのようなライブを行ったのかをまとめましたので、ぜひご覧ください。
ハイスタはなぜ伝説のバンドなのか
ハイスタが結成された当時は、ライブハウスやバンドブームが低迷していた時代でした。
バンドブームが去った1999年に、ハイスタがリリースした「MAKING THE ROAD」が、インディーズバンドとしては異例のミリオンセラーを記録しました。
1990年代後半に巻き起こったパンクブームの中心にいたのがハイスタであり、ハイスタはこの時代を代表するパンクロックバンドとなりました。
現在大人気で活躍している10-FEET、マキシマム ザ ホルモン、WANIMAなど、多くのバンドがハイスタの音楽から影響を受けています。
また、バンド主催のフェスであるAIR JAMの開催もハイスタの偉業の一つです。
AIR JAMは1997年に開催され、フジロックも同年に初開催となっています。
それ以降、サマソニやロッキン、ライジングサンなど、今ではおなじみとなったフェスが続々と開催されるようになり、AIR JAMは日本のフェス文化の先駆け的な存在となりました。
そんな人気絶頂であった2000年に、ハイスタは突如として活動休止を発表し、ファンに衝撃が走りました。
活動休止中であったハイスタは、2011年の東日本大震災を受けて再集結し、AIR JAM2011が11年ぶりに開催されました。
これを機に、2016年にはシングルを事前告知なしでリリースし、2017年にはフルアルバムがリリースされ、ハイスタの音楽はかつてのキッズだけでなく、新しい世代のキッズにも愛されるようになり、伝説のバンドが再び動き始めたのです。
サポートドラムとともにサタニック2023に出演!
2016年のシングルリリース、2017年のアルバムリリース、2018年のAIR JAMを開催した後、目立った活動は見られませんでした。
しかし、ハイスタの3人はコンスタントにスタジオに入り、集まっていたそうです。
2022年12月には新曲の「I’M A RAT」のレコーディングを行い、さらにサタニック2023の出演オファーを受け、サタニック2023を新曲披露の場に選んだそうです。
しかし、2023年2月に恒岡さんがこの世を去ってしまい、「I’M A RAT」は彼の遺作となり、サタニック2023が恒岡さん逝去後に行われたハイスタの初ステージとなりました。
ドラムを代わりに叩いたのは、Ken YokoyamaのEiji、The BONEZのZAX、マキシマム ザ ホルモンのナヲの3人です。
サポートとして代わりにドラムを叩いた3人には、大きなプレッシャーがかかったと思われますが、彼らのおかげでハイスタはサタニック2023のステージに立つことができました。
ハイスタのメンバーである難波さんは「またハイスタをつくっていくからね」と語り、横山さんは「また必ず戻ってくるよ」とファンと約束し、ハイスタは新たなスタートを切りました。
代わりにドラムを叩いた3人が担当した曲はこちら
*Ken YokoyamaのドラマーEijiが担当した楽曲はこちら
・Start Today
・Stay Gold
・Fighting Fists, Angry Soul
・Close To Me
・I’M A RAT
*The BONEZのZAXが担当した楽曲はこちら
・ANOTHER STARTING LINE
・My Heart Feels So Free
・The GIFT
・Brand New Sunset
*マキシマム ザ ホルモンのナヲが担当した楽曲はこちら
・CAN’T HELP FALLING IN LOVE
・NEW LIFE
・MAXIMUM OVERDRIVE
・DEAR MY FRIEND
ハイスタのサタニック2023のドラムは誰が?【まとめ】
いかがでしたでしょうか。
恒岡さんの訃報は、ファンだけでなく音楽界に大きな悲しみと衝撃をもたらしました。
しかし、難波さんと横山さんは前を向いて進むことを決め、その第一歩がサタニック2023のステージだったのでしょう。
恒岡さんの代わりという大きなプレッシャーの中、ドラムを叩いてくれたEiji、ZAX、ナヲの3人のおかげで、ハイスタは止まらずに進み続けることができました。
そして、これからも進み続ける新しいハイスタがどんな形になろうとも、それを見届けていきたいと思えるステージでした。
最後に、恒岡さんのご冥福を心からお祈りいたします。